長野オリンピックのフィリップ・キャンデロロの演技にはまって以来、フィギアスケートは冬季オリンピックでもっとも好きな種目の一つになった。とはいえ、基本的に冬季種目はオリンピックしか見ないので、ここ最近の女子フィギアの盛り上がりには無頓着だったのだが、昨日・今日の全日本をみて驚き、感動させられた。こんなにも日本の女子フィギアはレベルが高かったのかと。
正直、途中から泣きそうになった。
スポーツでこれだけ揺さぶられたのは久々だ。
トリノ
楽しみになった
長野オリンピックのフィリップ・キャンデロロの演技にはまって以来、フィギアスケートは冬季オリンピックでもっとも好きな種目の一つになった。とはいえ、基本的に冬季種目はオリンピックしか見ないので、ここ最近の女子フィギアの盛り上がりには無頓着だったのだが、昨日・今日の全日本をみて驚き、感動させられた。こんなにも日本の女子フィギアはレベルが高かったのかと。
正直、途中から泣きそうになった。
スポーツでこれだけ揺さぶられたのは久々だ。
トリノ
楽しみになった
単純に考えられれば、単純な目標を設定できれば、後は楽なのに。
あれこれ考えたり、あれこれ考える余地があるから疲れたり、無駄なことをしたり、
集中できなかったりするわけで。
いろいろ出来る可能性があって、それが許される環境があって、うまくやってる人間もいて、
自由であることは人を苦しめることもある。
「ニート」なんてのが存在してるのもそのせいなんだろう。
こどもだ。。。
だれでも、何かしら欠如していて、全てにおいて「すげー」と感じられる人はなかなかいない。
文句を言うつもりになれば、誰にでも文句は言えるし、いったところでストレス解消にはなるが、解決はしない。今勤めている会社に入社してから、たくさんの人と仕事をしたが、完璧な人なんかいないし、目指すべき人もいない。
それに絶望したこともあるが、かといって自分が完璧かというと、もちろんそんなこともない。ほとんどの人は自分より優れた一面を何かしら持っているし、尊敬もできるものだ。たしかに、自分のやりかたに合わない人間、自分と性格の合わない人間もたくさんいるが、仕事をする上ではあまり関係ない。
個人的には自分の判断を信じながら仕事をしている。ただ、勝手な思い込みで仕事を進めるのは良くないし、他人の適当な考えに従って仕事をする気にもならんので、自分の考えは吐き出すようにしている。そうすれば議論も生まれるし、相手が正しいと思えば協調するし、間違っていると思えば議論する。
頭の回転が速い人間との議論は大変だが、自分が納得しなければ仕事を行うことは出来ないので、とりあえずは納得いくまで話を聞く。
組織に所属する以上は、自分の好きなことだけはなかなか出来ないし、仕事が与えられればやらなければならない。与えられた中で楽しみを見つけていくのはそんなに難しくないが、それでは面白くないので、自分のやりたいことを押し通すこともする。ただ、与えられた仕事がなくなるわけではないので、仕事は増える。仕方がないことだ。
幸せとは、今の自分がずっと続いて欲しいと思っている状態、不幸とは、早く終わって欲しいと現状を恨む心のあり方である。
ぜんぜん違う目的で買った「エコノミスト 10/5号」の巻頭コラム「敢闘言(文:日垣隆)」の一文。幸せや不幸の定義でこんな考え方をしたことは無かった。心のあり方である以上、他人との対比は関係ない。他人がぬるいと思っていても、自分で不幸だと感じていれば不幸だし、幸せだと感じていれば幸せというわけだ。
まあ、大部分のひとは(わからんけど)幸せと不幸の合間を漂ってんじゃないだろうか。「現状が続いて欲しいとは思わないが、別に恨んでもいない」くらいに考えているのではないか。裏を返せば、どっちにもする転がることが出来る。不幸にも、幸せにも。
できれば、転がるんじゃなくて自分で制御したいもんだ。
幸せになり、それを維持したい。
努力は、そのためのものだけでいいはずだ。
相手が何を考えているか、
わかるようになることなんてない。
いくら付き合いが長くても、一緒にいる時間が多くても。
できることは、相手を信じるだけ。
自分の気持ちをはっきりさせておくことだけ。
そんなに立派な大人ではなく。
ワカラナイものはワカラナク、
相手の冷たい反応をいつも恐れる。
考えた末に洩れた言葉はすべて裏目に出て
怖さを増してぎこちなくなる。
怖いから言葉数が減り、
より身動きが取れなくなり、
どんどん疎遠になる。
バカな男。いない方がありがたい奴。
自業自得。御愁傷様。
サヨナラ。人類。マタアウヒマデ。
余計なことを考えたくないときがある。
ただ、何かに没頭していたいときがある。
そんなときは本を読んだり映画を観たり飲みに行ったりするんだけど、
通勤とか、電車の中で楽しめるのは本くらいしか思いつかない。
とはいえ、時間を忘れさせてくれるほど楽しませてくれる本はそんなにない。
この本はおれを没頭させてくれた貴重な本だ。
とにかくテンポがよく、キャラクターも個性的で魅力的。
物語の筋も面白いけれど、キャラクターが勝手に動き回ってる感じが好きだ。
自分の遊び場だった池袋を舞台にしていて、
登場する地名や風景を全てイメージできて楽しかった。
マコトみたいに、クールで情に厚くて人を差別しなくてユーモアがあって行動力があって頭がキレる人になりたい。
なんて・・・
中学生くらいから、しょっちゅう池袋をうろついていたが、
おっかない思いをしたことは一度もない。けど。
友達はよくカツアゲされていたり、集団でボコられたりしていたりしていたし、
親父には「西口はうろつくな」とか「わき道には入るな」とか、よく言われていたし、
本職がいっぱいいるってことも知ってた。
むかしの話だ。境界線はわかんないけど。
あぁ、おっかねー町だな池袋。
もう近づくのはよそう(ウソ)。
と、没頭できる本。
続編も読まなくては。
ドラマは観てない。観てみようかとも思ってるけど。
暗い映画なんだけど、頑張る気にさせてくれる映画だと思う。
これだと決めたことをやり通すことのほうがどれだけ大事か。
好きなことに没頭することの力がどれだけのものなのか。
できないと思えば、それは現実になってしまう。
負けたと思えば、負けてしまう。
才能に疑問を持つのは、ずっと後でいい。
そんなことで悩む暇があれば、やりたいことに没頭しろ。
そう言われている気がした。
しかし、才能なくても頑張れと言っている反面、
能力がありながら精神的な弱さで結果を出せずにいる人にとっては、
救いのない映画なのかもしれない。
挫折してしまうことは罪なのだろうか。
心が開放されればそれでハッピーエンドなのだろうか。
釈然としない。
結末の解釈は人それぞれ。
誰がなにを思うのだろう・・・
一回読んで、いま、読み直している。
おもしろすぎて、感動しすぎてもう一度読み直したくなったというわけではない。
この本は、ゆっくりと小説を読み込むということを思い出させてくれた、いや、教えてくれた。
映画と同様に、大学生の日常を淡々と描いていることに変わりない。
浜に打ち上げられた鯨や、壁に挟まれた男のような、ちょっとした非日常すらないので、
映画以上に平凡な「きょうのできごと」になっている。
映画をみて筋を知ってるもんだから、最初はさらっと読んだ。
で、解説を読むとどうやら描写について褒めちぎっているので、
しっかりと、ちゃんと情景を思い浮かべるようにしながら読み直している。
そうやって改めて読み返してみると、また違って見えてきた。
のんびりとした話だから、のんびりと読む気になった。
なかなかこういう気分になることは少ない。
ちょっと、昔読んだ本を読み返したくなってきた。
「なんとかなる」って言葉が好きだった。
どんな状況でも、頑張れば「なんとかなる」。
無理そうなことでも、やってみれば「なんとかなる」。
実際、大概のことはなんとかなるもんなんだ。
自分のことでも、他人のことでも。
それに甘えていたように思える。
「なんとかなる」からこそ、もっと頑張んなきゃ。
「なんとかなった」といって、成功したわけじゃない。
ごまかせばきりがない。
「なんとかならない」よりはいいけど。
けじめは、つけないといけない。
おれは、よくフラレル。
悲しいくらいよくフラレル。
同じ人間にも繰り返しフラレル。
ワラケル。
ナケル。
でもまあ・・・
ぶろぐは、頭からあふれた欲求の塊で、
自分が満ち足りていないときほど書きたくなる。
満足している日々を送っていると、とくに疑問も不満もないもんだから、
言葉にしなくても満足できちまう。
だからいいんだフラレタッテ。
文字への渇望が高まっていくから。
楽しいあしたへの渇望も高まっていくから。