口内炎のせいで機嫌が悪い。
右の頬の裏と、舌の右裏にできている。
口の中で食べ物を転がすこともできないし、
まともに噛むこともできない。
口を動かすのも億劫で、でかい声で話すのもつらい。
声をかけられただけでちょっとムカ。
神経が繋がっているのか、
口内炎につられて親知らずは痛み出し、
偏頭痛まで登場しておれをいじめる。
こういう日は余計なことをしないほうがいい。
他人に迷惑をかけないためにも・・・
口内炎のせいで機嫌が悪い。
右の頬の裏と、舌の右裏にできている。
口の中で食べ物を転がすこともできないし、
まともに噛むこともできない。
口を動かすのも億劫で、でかい声で話すのもつらい。
声をかけられただけでちょっとムカ。
神経が繋がっているのか、
口内炎につられて親知らずは痛み出し、
偏頭痛まで登場しておれをいじめる。
こういう日は余計なことをしないほうがいい。
他人に迷惑をかけないためにも・・・
早く家に帰り、何の意味もなくブログを巡り巡っていたら2ちゃんにたどりついた。
正確には2ちゃんの記録か。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133
FLASHで作り込まれてて、BGMまで入ってて、
「いいのかよ勝手にに曲使って」とか思ってたら、
・・・号泣
こんなに他人の話で泣いたことがあるだろうかってくらい泣けてしまった。
なんでだろうな。リアルだったからかもしれない。
ちょうど3年前、母親がガンになった。
早期に発見したこともあって結果的には助かったんだけど、
本人も家族も「死」を意識したことだけは確かだと思う。
8年前くらいにばあちゃん(母親の母親)がガンにかかっていて、
早期発見だったにも関わらず助からなかった。
運悪く悪性のガンにかかってしまったからだが・・・
末期ガン患者を見たことがある人はわかると思うけど、
ばあちゃんも死ぬ間際は結構壮絶だった。
それを目の前で見続けていた母親が、
自分がガンになったときにそれを意識しないはずがない。
おれもガンの種類と検査結果も聞いていて、
普通に考えたらまず大丈夫だろうとは思っていたが、
母親の「死」を意識していたと思う。
おれの実感だけど、本気で「死」を意識してしまってからでは
「ありがとう」なんてことはとてもいえない。
それをいうことは、母親が死んでしまうことを認めることになるからだ。
生きて退院してからのことしか話せない。いや、話せなかった。
多分、助かる可能性があるうちは話せないだろうな。
結果として母親が元気になったことは、
おれたち家族にとってはとても幸せなことだったのだと思う。
いなくなってからでは遅いが、いても言えない状況になることだってある。
どっちにしても言葉で伝えるようなことではないのかも知れないけどな。
これ、職場では読まない方がいい。
朝起きてテレビをつけると体操で盛り上がっていた。
金メダル? なぜ?
いつの間にそんなに強くなったんだ?
昨日はソープの金メダルシーンをみて大満足。眠かったし目も疲れてたので寝てしまった。
「なんと言っても今日の注目は男子体操です」とか行ってたけど、まーメダルを取れりゃいいくらいなのかなって思ってた。前日に見たときもそれほどではないようにみえたし、どうせ中国とかロシアが強いんだろうと。
それが金メダルだと・・・?
2位もルーマニアらしく、おれの中の勢力図はがたがたと崩れてしまった。
みときゃーよかった(体力的に無理だったけど)
聞くと塚原以外はみんなオリンピック初出場らしい。
オリンピックを3度目のベテラン塚原と、伸び盛りで才能のある若手の組み合わせでこの結果が出たんだね。あっぱれです。
しかし、大会4日目にして金メダル4個、銀メダル1個、銅メダル1個。地元開催でもないのにすごいペースだね。まだまだ期待選手も多いし、楽しいオリンピックだ。
反面、結果を出せなかった競技、選手もたくさんいる。でも、オリンピックは競技が多すぎて、結果が残せないと記憶から排除されてしまう。決して無視してるとか軽視しているとかではなく、競技の数が多いからしょうがない。それがオリンピックの現実。だから勝たないと人の記憶には残らない。
まあ、サッカーは残念だったけど、秋からワールドカップ予選が始まるし、そっちを頑張ってくれればいいや。
さて、今日は野球がキューバ戦。先発は松坂かな。金メダルを占う大事な試合だ。
ビバ。
精神的にも充実した天才の力を過去になく感じた。野村と谷の集中力、威圧感に打ち震えた。感動はどっかいっちゃったな。凡人たちは二人にしがみついて、拾えるかもしれない勝ちにしがみつくしかない。今回、野村と谷にその隙は全くなかった。凄まじい。
野村や谷のような存在があることは、柔道界にとっては幸せなことなんだと思う。柔道に携わっている人や、柔道に打ち込んでいる選手たちにとって、この英雄たちの存在は励みになる。たとえ、自分がそれになれないとしても。凡人なりの生き方がある。凡人が夢を持つには天才の存在は欠かせない。そう思う。
いやしかし、このピリピリとした緊張感はオリンピックならではだな。心が躍る。
最近あんまりにも暑いので、上着もネクタイもなしで通勤することが多い。実際、ネクタイはともかく上着を脱いでいる人はとても多いのだが、ラッシュ時の電車の中ではあえて上着を着ることおすすめする。
ラッシュの中だと他人の体と触れるし、ワイシャツだと体温を直接感じてしまう。体温だけならまだしも汗まで一緒についてくる。そのせいでやたらと暑い、暑苦しい。そして気分も悪い。何で朝っぱらから男ども(相手が女でも嫌だが)の体温を感じなきゃいけないんだと、このくそ暑い中で。女の子とか、よく平気だと思うよ・・・ これが、上着を着ているとだいぶ緩和されるので、ラッシュ時の電車の中では上着を着ていたほうがかえって涼しい。
だから、混んでいる電車に乗るときはあえて上着を着る。降りたらまた脱ぐ。夏の男の特権(でもねーか)。
今日も5時起床。朝型生活に復帰して2日目になった。夏休みに生活のリズムを整えて完全な朝型に戻そうと息巻いていたのだが、休み前以上の夜型になってしまった。毎朝7時くらいに目を覚ましていたのだが、いつも2度寝して12時くらいになってしまう。寝る時間はだいたい3時くらいだったかな。とにかくそれに慣れてしまったので、しばらくは眠い朝が続くだろう。軽い散歩とシャワーで目を覚ます。
早起きして散歩してると、余計なことを考えたりする。
何かが失われていく理由は、それを失う過程では理解することができない。原因を突き止めようとしたところで、それを理解することはできないし、理解したところで何か変わるかもわからない。こんなことをいつも考えるほど暇ではないが、ある瞬間にふと思い出し、悲しく情けない気分になる。
<<時は流れない。それは積み重なる。>> そんなサントリーのコピーが昔あった。重なり続ける時のなかで、すべての行動やできごとは自分や他人に影響をあたえる。水に流せることは何もない。目の前にある現状はすべて自分の行動の結果で、ほかの誰のせいでもない。すべて自分、それだけ。
今日は5時に起床。生ゴミの詰まったくさいゴミ袋を収集所に持っていくところから爽やかな? 朝がスタートした。5時くらいだと日も上っておらずとても涼しい。近所のコンビニで野菜ジュースとヨーグルトを買って、店を出る頃にはもう暑い。見ると正面にぼんやりした太陽が。こいつのせいか。
朝飯は野菜ジュースと目玉焼き丼。あとキャベツをそのままかじる。ヨーグルトで腹を下さないように調整(したつもり)。会社に行ってからあれこれ買うと体に悪そうだし、仕事のためにも朝食を食うことにした。夏休み明けでスーツ慣れしていないので、ラッシュを避けて6時半に家を出た。
ほんと、スーツを着てクーラーをがんがんに効かせる現代人はアホの集まりだと思う。みんなで苦しみながら涼んでる自虐集団。何がフォーマル、何が正装だ。妙なプライドと見栄を固める前にみんなで幸せになる道でも考えりゃいいんだ。
東横線で通勤するようになってから2年以上経つが、JRを離れると、JRの運転手の質の高さを感じる。東横は正直ひどい。急ブレーキは多いし、停止位置を戻すために駅に停まってからバックするし(JRで経験したことはない)、平均点が低い。たまたまなのかもしれないし、JRでも同じことがあるのかもしれないが、相性が悪い。
なんてことを考えつつも、オリンピックの日本野球チームが10〓0で快勝したあとの今日は気分がいい。もうすぐオリンピックが始まる。朝型に直そうとしつつ、オリンピックシフトなってしまいそうだ。いや、なっていはいけない。いけない。いけないとおもう。
夏休みも最終日。ちょっとずつ慣れてきた自炊。メニューはあじの開き、肉じゃが、納豆に豆腐を揃えた。野菜をとりたくて始めた自炊だ。それなりに時間がかかるので、夏休みが終わったあとにどれだけ続けられるか、外食よりもコストを下げられるかがポイントだな・・・
さて、今日は涼しく、夕食時にはクーラーをつける必要がなかった。窓を開けておくと涼しい風が入ってきて、遠くで虫の音が聞こえる。涼しくて静かな夏の夜。新撰組を観ながら飯を食っていた。今はナイターを観ている。
いつからか夏はクーラーをつけるのが当たり前になっていて、自分の部屋に戻るとすぐにクーラーをつけていた。クーラーをつけなければ暑いと思っていたし、暑いことの方が多かった。今日みたいな涼しい夏は「じいちゃんち」の記憶だ。子供の頃、夏になると必ず泊まりにいっていた「じいちゃんち」。風通しのいい家で、クーラーなんかいらなかった。
ほんとは、今日もクーラーをつけるつもりで、飯を作っている間に空気の入れかえしていただけだったのだが、座ってみたらそのままで平気だった。
何が幸いするかわからない。いい夜だ。
自由に生きることと、衝動のままに生きることは違う。
感情のコントロールができなければ、苦しむのは常に自分だ。
常に平静であり、ストレスは正面から自分で受け止め、目の前のことに没頭する。
そういうひとに、わたしはなりたい。